鈍感力が不幸を招く
昨日の投稿では、10数年前にベトナムで新規プロジェクトに携わったときに、鈍感さゆえに、本社の冷たい対応も気にかけず、現地の人々との交流に支えられて過ごした話を投稿させて頂きました。
この鈍感力という能力に定義があるのか知りませんが、単身赴任になっても、子会社に出向となっても、行った先々で楽しめる点が自分にとって、鈍感力を発揮できている点なのかもしれませんね。
それでも周囲の人、私を迎え入れてくれている人にとって迷惑にならないようには心がけたいと思います。
ただし、家庭では鈍感さが命とりになる場合もあることにも留意しないといけません。
私は今年の3月まで単身赴任をしておりました。
最低月に一度は家に戻ると、妻に約束をしてはいましたが、コロナ禍の初めの頃、半年ほど自宅に戻らなかった時がありました。
そして半年ぶりに帰宅したとき、玄関に妻と柴犬がお迎えしてくれました。
久しぶりの帰宅を喜んだあと、私のある意味、鋭敏さであり、鈍感さでもある一言が和やかな雰囲気を壊してしまいました。
「あれっワンコ美容院行ったの?きれいになって良かったね。」
その直後、妻の一言が私を凍り付かせました。
「気が付かないの。私も今朝、美容院に行ってカラーリングしたのよ。」
・・・・・
吹き飛ぶ凱旋祝賀ムード。
鈍感力は家庭では、災いのもとです。
微妙な変化に対応できる鋭敏さを養っていければと思います。
(美容院でシャワー中のワンコ)
鈍感力という本がありました。
Kindleunlimitedでも読めるようです。
正しい?鈍感力を養っていきたいと思います。
本の解説には、
『シャープで、鋭敏なことが優れていると世間では思われているが、本当にそうなのか!? 医師としての経験や作家としての眼差しを通じて、些細なことで揺るがない「鈍さ」こそ、生きていく上で最も大切で、源になる才能だと説き明かす。恋愛関係、夫婦生活、子育て、職場、環境適応能力……。様々な局面で求められる鈍感力とは何か。先行き不透明な現代を生きぬくヒントが満載。』
とあります。
「夫婦生活」にも鈍感力が求められるとあります。
鋭敏さ鈍感力の使い分けが必要なんですね、知らんけど。
鈍感力が成功に導く
私はある意味で楽天的な性格だと言われることがありますが、実は鈍感なだけなのです。
でも鈍感力が高い方が仕事がうまくいくこともあるよなって、お昼にフォーを食べながらふとそんなことを思いだしました。
私は10年以上前に、英語もろくにしゃべれないのに海外での新規事業開拓を担当させられたことがありました。
当時、わが社はホーチミン市に進出することを模索し始めていました。
そのプロジェクトマネージャーを私が任されたのでした。
初めて現地に旅立つ前日、役員から言われた言葉が「君はホーチミンでの我が社の橋頭保になれ」でした。
その時は、何を言われているのか、あまり何も考えずに「承知ました。現地での関係構築に向け取り組んでまいります。」ぐらいの返事をして旅立ったわけです。
タンソンニャット空港に到着し、ホーチミン市街への移動のタクシーでぼったくられ、さらに約束していた現地コンサルタントにはすっぽかされ、初日の予定は台無し。
初日から随分と疲れ、その時、初めて「橋頭保」という単語の意味をかみしめました。
君(私)=橋頭保と言われた意味を。
橋頭保とは、敵の勢力下で十分に兵站が得られない要衝に築く前線拠点のことです。
つまり、会社からの援助は十分ないけど、まぁ営業の要衝となるホーチミン市で、しっかりやってこい。
成果を上げなければ帰ってくるな、ぐらいの勢いだったのかも知れません。
そう思うと、すごくやるせないというか、怒りを感じるようになりました。
ああ、なんて自分は鈍感なんだと。
結構ひどい扱いを受けているんじゃないのか、なぜ気づかないんだと。
そして、現地のビジネスパートナーに対しても国民性の違いからイライラが連発しました。
でも不思議なことに、そんなホーチミンの人たちも夜の宴席やカラオケでは良い友人になってくれました。
最初は接待していたんですが、そのうち自宅に呼んでくれて家族を紹介してくれたり、割り勘で飲む時もありました。
そして、滞在期間中に、私の持ち前の鈍感力が功を奏して、ベトナム人たちと毎夜、モッハイバーヨーって乾杯しながら、バーバーバービールを飲みまくっている間に、すっかりビジネスでもよい関係を築くことができました。
このまま橋頭保としてここで埋もれてもいいや、ぐらいの気持ちになっていました。
滞在期間中、二日酔いの朝には、ホテルのバイキングではフォーが定番メニューとなっていました。
そんなことをお昼ご飯食べながら思い出していました。
寒いけど、風邪引かず頑張りましょうね。
今日、関西は急激に寒くなりました。
週末にかけてさらに冷え込みそうな気配です。
風邪などひかず、乗り越えましょう。
そのためには、やはり睡眠、食事が基本となりますので、栄養つけて対抗していきましょう。
なんて言い訳をしながら昼から焼肉定食で滋養強壮に取り組んでいます!
WEB適性試験の不正受験を考える
最近、大きな話題になっているWEBテストによる不正行為、いわゆる替え玉受験について、新卒採用に関わる者としてと、就活生と同年代の息子を持つ親として、やるせない気持ちでいます。
まず、不正を働くなんてもってのほかであり、真面目に受験するほとんどの就活生のことを考えても絶対に許せない行為です。
こうした何らかの不正行為を働く人間は氷山の一角とも言われており、このような試験に頼ってしまう企業にも問題があるのかも知れません。
不正を防止するための技術的な手立て、(お金さえ掛ければ)いくらでも可能と思われますので、試験実施機関にも猛省していただきたいと思います。
WEBテストには、性格テストと能力テストの二種類があります。
就活生に対して実施された2021年のアンケートでは、驚くことに約5人に1人が何らかの不正に関わったという結果が出たとのことです。
主に不正が行われているのが、能力テストとのことです。
替え玉のような悪質なものは少数と信じたいのですが、模範解答がネットに出回るなど、人生がかかった就活生にとっては、悪いことではなく、単に「予習」「下準備」の範疇なのかもしれません。
しかし、予てより不正が噂されているWEBテストを使用し続ける企業側にも問題があります。
さて、弊社はどうかというと、数年前に能力テストの利用を止め、性格テストだけを利用しています。
私は今期は面接官をしており、実はこの性格テストの結果を使っています。
「協調性が無い」とか「リーダーシップに欠ける」といった結果が出ている就活生に、学生時代の集団での自分の立ち位置などを質問したら、彼ら彼女らなりに取り繕った回答をするんですが、意外とボロが出たりします。
私が担当した範囲ではありますが、けっこうWEBテストの結果って当たっているな、との印象を持っていました。
でもそんな素直な反応を示してくれる就活生を見ると、我が子とだぶり、ついつい甘い点をつけてしまいます。
いろいろ功罪のあるWEBテストですが、性格テストは面接官にとっては、就活生と会話する際のネタ帳として役に立っているかなと思います。
そんなテストの結果だけで判断していませんので安心してください。
今回逮捕された名だたる大企業の社員は、能力は高いのかも知れませんが、社会人としての適性には大きく欠けています。
この大企業が採用時にWEBテストを利用していたかどうかは不明ですが、社会人としての適性を見抜けなかったのですね。
就職活動が上手くいかない学生に不正行為の切っ掛けを与え、学生の人生を狂わせてしまったことを反省して欲しいです。
また利用してしまった学生には辛い現実ではありますが、しっかり受け留めて今後は誠実に生きていって欲しいです。
人生は長いし、あなたは若いからまだまだやり直せるよ。
仕事を続ける理由
あらためて「あなたが仕事を続ける理由は?」と聞かれたら、どのように答えたらよいでしょうか。
仕事を辞めたいと言っている部下を、どう言えば慰留できるでしょう。
この質問、実は私の友人が部下に言われて、上手く答えられなかったそうです。
私なら瞬時にどのように答えたでしょうか。
- 生活のための収入を得るため
- 自分の能力を高めるため
- 仕事を通じて社会に貢献するため
私はやはり、収入を得るため(家族を養い、息子たちの学費を支払い、そして自分たち夫婦の老後資金を蓄えるため)が一番大きい理由になっています。
若いころは、自分の能力を高め、社会に貢献するという、もうちょっと高邁な考えを持っていたようにも思います。
半沢直樹なら「ビジネスは感謝と恩返し」というでしょうね。
ちなみに、次の仕事を決めず退職しようとする部下に対して友人は「収入が無くなって、君はどうやって家族を養うつもりなんだ?」って逆に質問したらしいです。
すると「一人息子は来年には就職します、私は妻と田舎に帰り、祖父が残した荒れた畑で農業をします。収入は激減しますが、二人で生活できるくらいの蓄えもあります。」との事でした。
え、畑があるの・・・、貯金があるの・・・、何となく勝ち組じゃないですか!
羨ましいですよね・・・
それでも抗い、飲みニケーション活動
先日なかなか飲みニケーションが難しくなっているお話をしました。
コロナ禍以降、部下を飲みに誘うことは、悪のような風潮があります。
本日も若手の部下には急な残業をさせていますので、何か日頃の感謝を伝えたいと思いつつ、なかなか飲みに誘えず、おじさんはモンモンとしていました。
若かりし日に、なかなか気になる女子を食事を誘えず、モンモンとしている感覚に似ています。
でも、先日の記事でも紹介しましたが、製薬会社のアンケートの結果でも若手も「誘われて嬉しい」との回答が6割あるじゃないかと自らを奮い立たせます。
そして、ついに勇気を出して、若手(20代前半の入社3年目の男子)に声をかけて見ました。
すると、「誘ってもらって嬉しいです!」というまさかのキラキラした反応です。
アンケートの結果を信じて良かった。
心の中で、「おじさんも嬉しいです。」と叫びつつ、飲みニケーションを図ってきました。
彼なりの社交辞令とは思いますが、喜んでいろんなはなしをしてくれました。
若手の中でも、同期会等を企画するも、立ち消えになり、入社以降一度も同期たちでまとまって飲みに行けてないということで、非常に寂しい思いがあるとのことでした。
まさに彼は飲み会自粛に対するレジスタンスの卵です。
そんな気持ちを隠していた若者がいたとは。
コロナ前の元通りの状態には戻れないとは思いますが、おじさんは地味に飲みニケーションを行い、このような気持ちを持つ若手のレジスタンス活動を支えてあげたいと思いました。
ちなみに私はあまりお酒が強い方ではありませんが、一緒に社会の風潮に抗っていきたいと思います。
働かないアリなどいないのでは?
新聞を読んでいて、アリの研究の話が目に止まりました。
アリの集団の中には一定数の働かないアリが存在するが、それは決して無駄ではないと言う内容です。
アリの集団の中に2割程度のアリに働いている素振りが見られない、いわゆる「働かないアリ」だといい、働きアリが全て働く集団と、働かないアリが存在する集団をコンピューターを使ってシミュレーションしたところ、働かないアリが存在する集団の方が長く存続する結果になったといいます。
一斉に働き続けると、効率的ではありますが、やがて組織は疲弊してしまい、一定数の待機要員、余裕が必要であり、目先の効率だけを追い求めては、集団は長くは続かないと研究の中で指摘されています。
この研究の成果を踏まえ、人の組織、会社にも擬えて話題になり、過去にも広く紹介されています。
しかし、自然界の働かないアリは本当は働かないアリでは無いのでは、そんなに甘い世界ではないのではないかと以前より感じていました。
もちろん、研究論文を読んだわけでもないので、引用された記事を読んでの疑問です。
アリの集団において、365日休みなしで、稼働時間8時間の労働形態のみだとすれば、勤務シフトを組むと、週休二日を働きアリに確保させるるためには日々2割程度の休暇組がいてもおかしくありません。
なので研究の中で観察された「働かないアリ」とは、勤務シフト上での非番なのであり、本当の意味での余裕としての存在とは違うのではないかと考えられます。
例えば、怪我や病気等で働けなくなったアリはカウントできていないのではないでしょうか。
アリじゃなかったかもしれませんが、働けなくなった個体はコロニーを追い出されるともききます。
例えはよくありませんが、会社など組織には一定数、病気等で休暇を取られている人、長期休職されている人もいますし、中途での退職を選択される人もいます。
そのような時に、欠員が補充されずに、休日返上、超過勤務で対応せざるを得ない場合も少なくありません。
さらに、残される同僚に申し訳ないと言って、不幸にも体調を悪化させる人もおり、悲劇と言えます。
経営上の問題で補充したくてもできなかったり、募集しても定数が確保できないなど様々な問題もあります。
なので、人間もアリに習い組織に余裕を持たせましょう、といった単純な議論ではないと思います。
現在、私は会社で業務のパフォーマンスをデータ分析により評価し、組織の再編により効率化に取り組むことがミッションとなっています。
効率重視で組織を疲弊させるのではなく、余裕シロを如何に稼ぎ出し、品質と安全につなげること、この品質と安全管理は休職者が出ても対応可能な仕組みとして残せるかが、真の効率化に繋がるんだと、アリの記事を読みながら改めて考えさせられました。
一方、経営者の中には、無駄なものは全て削ぎ落とせと、現場の苦労を見ようとしない人もいます。
そういう経営者に限り、疲弊した組織を逃げ出そうとする社員を、甘えていると断じてしまい、自らが疲弊させているという現実を見てくれません。
もう少し社員も生身の人間だということを再認識しないといけないですね。
経営とはそんな甘さでは務まらないと、一蹴されそうですが、株主よりも社員の幸せを見て欲しいと感じます。
相反することで、非常に難しいですが、データ分析による組織の効率化の取り組みでは、品質と安全のための余裕の確保に加え、社員の幸福感にもつなげたいと思います。