父の終活
ご無沙汰しております。
最近、更新出来ない日が続いていました。
先日、父の四十九日の法要を終え、
この間、あえて考え込まないように、
というのは、まもなく90歳という年齢でしたので、息子の受験が終わったら、そろそろ同居(私が自宅と実家を行き来)することを考え始めていた矢先でした。
このブログで何度か書きましたが、父は昨年末に突然他界したのですが、父は前日まで本当に元気にしていたので、私達親族一同本当に驚きなのですが、実のところ本人が一番驚いているのではないでしょうか。
父は自分の予定をカレンダーにびっしり書き込むこと、予定で埋めることに喜びを感じていたようで、亡くなった12月には今年の予定を埋め始めていたのでした。
そして今年の干支の置物を玄関に並べたり、家の掃除を始めたりとお正月を迎える準備も始めていたのです。
父は目標100歳と公言していましたし、90代に僅かに届かず、春に予定していた卒寿のお祝いができなかったことが残念です。
私はというと、単身赴任や子供の受験などを理由にして、父と向き合うことから少し逃げていたのかも知れませんので、そう思うと悔やまれます。
母が亡くなった時に、母に父の事はちゃんと看取るから心配しないで、と誓いましたが、なんとも中途半端なものでした。
単身赴任中から私の代わりに妻が週に数度、夕食を届けてくれたりはしていたので、妻には感謝しかありません。
やはり、親の年齢を考えると、いろいろなことを先送りにすべきではなかったのでしょう。
先月末に満中陰(四十九日)の供養を終え、続いてお墓に納骨を行ったのですが、お葬式、お寺、お墓いろんなこと何も知らなくて、人に聞きながら(さらにネットで検索しながら)毎週の供養を行い、気がついたら一応の区切りの日を迎えていたというのが本当のところです。
幸いなことに二人の姉とその家族とも関係は良好だったので、ここまで協力しながら進められたので、父を中心として良い関係を築けてこれたこと、これこそが父の残してくれた最大の財産なのではないかと考えています。
これからも、仲良く過ごせるようにしたいと考えています。
父はそれなりの退職金と公的年金や団体の顧問料等の収入があったので(役所から送られてきた書類などを見て年収は驚きでした・・・)、お金の面では何も苦労をせず、私達姉弟も金銭的な援助は必要ありませんでした。
また寝たきりになることもなく、介護もしませんでしたので、本当にそういうお金の心配もありませんでした。
でも母の生前は二人で何度か海外旅行に出掛けたりしていて、わりと贅沢してるなと思っていたのですが、母の葬式や供養にも500万円かけたとも聞いていましたので、大丈夫なのか姉弟で心配していたのですが、不自由なく、いやはやほとんど上手に貯金を使い切りペースでいたようです。
土地は借地ですし、貯金などの大きな財産を残さないことが、子世代が揉めさせない戦略だった、というわけでもないと思いますが。
少し申し訳ないと思ったのが、父のお葬式は母の時とは違い、家族葬というスタイルを取りました。
少し周辺の人からは小言を言われることもありましたが、コロナ禍で家族葬というスタイルが田舎でも定着していたので助かりました。
しかし、院号や戒名は母の時と同じようにお金をかけるようにしましたし、本骨の供養等も母と同じようにしたいと思います。
これから必要になる実家の片付け、地主さんへの土地の返却のための建物の解体費等が発生するかと思いますが、今後、借地権の取り扱いとか、専門の方(司法書士の先生)などとも相談しながら進めたいと考えています。
おそらく我々子世代に負担とならないような最低限の貯金は残してくれていたようです。
こんなに計算通りの老後ってあるのかと、自分の父親ながら見事だと感心しています。
お金の使いっぷりだけではなく、もう一つ見事なのは、昨年は母の十三回忌を終えていたので、そこまでは自分の責任で、息子達には任せられないと考えていた節がありますので、こちらも完璧でした。
なので、一応私も父の三十回忌までを目標に頭も体も健康で居られるように精進したいと思います。