蟹は甲羅に似せて穴を掘る、蟹だって努力しているんですよ!
我が家の受験生の息子(弟くん)、共通テストを終え、自己採点の結果を高校と塾に出し、それぞれ志望校の判定を持ち帰ってきました。
自己採点の結果から分かっていたことですが、相当厳しい判定をもらってきました。
共通テストの結果が芳しくなかったのですが、第一志望校がその中でも二次試験のウェイトが高いのと、受験せずに諦めるのが嫌なのか、第一志望校を受けさせてほしいと、涙目でうったえてきます。
私の答えは「好きにしろ。受けるからには残りの期間全力で、死に物狂い勉強しろ。」です。
そんな話を偉そうにしている私ですが、こと受験に関して実は「ダメダメのダメ沢直樹ね!(愛之助風に)」なのです。
ということで、今週のお題でもある「試験の思い出」として、もう35年以上前の私の高校受験、大学受験のダメさ加減をお話します。
弟くんには決して言えない話です・・・。
このブログでも実は何度かお話しているのですが、
実は私は浪人するまで、現役生の時は全く受験勉強などしたことが無かったのです。
またまた~、ってよく言われるのですが、本当なのです。
大学受験だけでなく、高校受験も全く勉強などしなかったのです。
今でこそ物忘れがひどいのですが、中高生の頃、私は短期記憶(ごくごく短期記憶)に優れており、前日さらさらと教科書を眺めるだけで内容が記憶でき(多少誇張)、特に学校の定期テストなどでは勉強せずとも、いつもクラスでは中の上位という状況でした。
だから勉強ってそんなもんだ、受験のために特別な勉強するなんて大事な青春時代の時間の無駄だ、なんて本当にそう思い込んでいました。
中学時代は実は、それで滑り止めの私学を落ち、公立を2ランク落として入学したのですが、全く懲りずに、大学受験もそういう態度で臨みました。
特別な努力などせずとも、ちゃんと自分の実力に見合った大学に合格できるんだと、本当にそういう風に考えていたのです。
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言いますが、私の勝手な解釈では、「自分には一定の能力・器がある(←かなり過信、いや誤認)、だからそれに見合った大学が必ずや受け入れてくれる」と。
でも「蟹」ですら、自分の体の大きさに見合った穴を掘る努力をしているのに、私ときたら全く努力もしていないのです。
本当は、「大きな蟹」になり、その体に見合った「大きな穴を掘る」ような大きな努力をしないといけなかったのに、努力もせず、夕焼けにゃんにゃんのおニャン子クラブを見ていたのです。
さすがに「おニャン子クラブに会いたいので、東京の大学を受験したい」とは言い出せませんでしたが・・・・。
そんな戯けものなので必然的に浪人生になったのでした。
その後、生まれて初めて勉強の喜びに目覚め、翌年、見事合格と言いたかったのですが、二浪に突入したのでした。
勉強はそこそこしたとは思うのですが、途中、初めて奈良の田舎から大阪に出て、さらにパチンコを覚えて・・・・
まぁ、二浪の際には本当に勉強しました。
朝は9時前から図書館の前に並び、5時まで勉強。
その後、予備校(浪人生の夜間コース)で9時まで授業。
高校3年間勉強しなかったので、浪人の2年間分でようやく人並みの「穴を掘る」努力ができたのでしょう。
今、我が家の受験生、弟くんは懸命に頑張って、大きな穴を掘る努力をしています。
きっと、その努力が、強い思いが報われると信じています。