毎日いろいろ考える

普通のおじさんが毎日考えたことを書きます。

楽に生きる

自分は他人にどのように見られているか、特に自意識過剰というわけではありませんが、それなりに気になります。
でも他人は、自分が思っているほど気にかけてくれているわけでもありません。
そういえば、最近は妻にも服装、髪型、持ち物など気にかけてもらえなくなったような・・・。
家族にすらそうなのですから、いくら、きれいに散髪しようが、新しいネクタイしようが他人は気づいてくれません。
もし異性の部下が気づいて声をかけてくれたとしても、それはその方が身に着けた対人関係を気持ちよく、円滑にするためのスキル、いわば社会人のマナーですので勘違いしないようにしたいところです。

まぁ、他人の目が気にならなくなると、楽に生きられるのはわかっていますが、見栄もありますし、やっぱ、かっこよく、そう「渋おじ」って見られたいです。

さて、他人から受ける評価として、社会人にとっては人事評価がもっとも気になる部分です。

私の会社でも現在進行形で、人事評価真っ盛りで、先日も何人かのマネージャー(課長職)と面談を行いました。
前にいた本社では、マネージャー職の皆さん自分をいかに良く見せるか、高い評価を得るかに腐心され、それこそアピール合戦をしていました。
大したことも無いことを、いかにも成果として表現したり、頑張っているフリをします。
本社では私もそうだったと思います。
出来るだけ、高い目標を掲げ、目標未達であったとしても、評価して貰えるように、「頑張ってます」感をアピールしました。

でも、現在の子会社では、特に現場をあずかるマネージャーさん達は、堅実に達成可能な目標をあげ、淡々と着実に実行し、まったくアピールすることをしません。
最初は物足りなさを感じました。
そんなことで他社との競争に勝てるのかと。
この人達は楽をしているのではないのかと。

しかし、必ずしもそうではないのです。
堅実な目標を確実に達成することも、変化の激しい時代には難しいことであり、特にベテラン社員が退社して、人手不足の中、決して、派手さはありませんが着実に自分の責任を果たしています
現場レベルでは、自部署の前後を任される他部署の工程に気を配り、着実に自分の工程をこなしていく、他人を出し抜くという感覚がありません
頑張ってます感を無理に出し、役員や上司から高評価を得て、出世することが目的になっているような集団は、ちぐはぐになってしまい、生産性が上がるはずがありません。
本来、日本企業は滅私奉公型で、個よりも全体を重んじて、組織として成果を上げるスタイルで成長を遂げてきました。
その成長モデルが頭打ちとなり、長引く不景気の中、効率化を図るため、個人の能力向上を目的として成果型の人事評価が導入されました。

個人の役割や責任範囲が雇用契約上、不明確という労働環境のせいもありますが、そうした制度が空回りして、導入効果が現れず、「見せかけの成果」「頑張ってます感」、さらにそれらをアピールするための超過勤務、これでは生産性が向上するはずがありません

前の職場には、「頑張ってます感をアピールする人」と、それに気づいて「何もしない人」の両極端に分かれていました。
結果は成果に繋がらない点では同じです。


個人の役割と責任分担を明確にして、成果を評価する上司の力量と、頑張ってます感を見抜く目が必要なんですよね。
なんて考えていますが、そういう自分こそ、本社の役員からどう見られているか気にならなくなれば、もっと楽に生きられるんですよね。(わかっているんですけどね・・・・)