仏事について
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
元旦の日の話題にふさわしくないかも知れないのですが、年末に父が亡くなったのを契機に仏事について、少し調べることとなりました。
これまで祖父母そして母の時も、父に任せきりだったので、仏事について全く何も知らないまま過ごしていたことを、今回私たち姉弟三人は思い知りました。
ちなみに二人の姉のうち、一番上の姉は学生時代からキリスト教徒なので知らないのは無理ないのですが、三人ともそれぞれ家庭を持ちつつ、あまりそういった情報を持ち合わせていませんでした。
一般的に初七日から四十九日(七七日)まで、七日毎の法要で供養することは経験的に皆さんもご存知だと思いますが、この七日毎の法要には大きな意味があることについてもご存知でしょうか。
残された家族、親族が法要をつとめる事で、「この世」から「あの世」へ善、徳を送り、故人の徳を増し、故人の罪が軽減され、よりよい世界(冥土)へと旅立てるよう応援できるというのです。
七日毎の供養で、徳を増し増しにできるのですから、故人を想う遺族も法要に力が入ってしまいます。
あの世に行くまでに、七日毎に七回も現世での罪に対して裁きが行われるとのことで、ずいぶんと厳正に裁きの手続きがあるというのです(以下は、ネットで出ていたものなので、宗派毎に考え方は違うかもしれません)。
参照: https://www.yoriso.com/sogi/article/futananoka/
- 初七日(7日目)
三途の川で、泰広王が生前の殺生について審査 - 二七日(14日目)
初江王が生前の盗みについて審査 - 三七日(21日目)
宋帝王が生前の不貞について審査 - 四七日(28日目)
五官王が生前に嘘をついてないか審査 - 五七日(35日目)
閻魔大王が水晶の鏡に写し出された生前の罪状を(閻魔帳で?)審査 - 六七日(42日目)
変成王が生まれ変わる条件を付与 - 四十九日、七七日(49日目)
泰山王が六つの世界の中から故人の行く先を決定
なんとも、複雑な手続きのようです。
エンマ様(ラスボスでは?)の後も裁きが続くのですね。
しかし、先日の二七日の時に親戚の長老的な人から衝撃の事実を私は知らされました。
我が家は浄土真宗なんですが(そのことは知っていましたが)、浄土真宗では、阿弥陀仏の力によって成仏できるとされているので、臨終後すぐに極楽浄土へ迎えられるというのです(臨終即往生というらしいです)。
私は喪主だったのですが、葬儀の時にそんな教義も知りませんでした。
浄土真宗では、葬儀の日から続く法要は故人の冥福を祈るというのではなく、故人を偲んで仏法に接するために行われるというのです。
つまり、冥福は約束されているので祈らなくてもよい、つまり、浄土真宗の教えでは「ご冥福をお祈りします」とは言わないというのです(弔電では、そのような文言ばかりでしたが)。
我が家の宗派の教義もろくに知らずに、50年以上生きてきて、初めてこの事実を知りました(いやはや、恥ずかしくなりました)。
今回、四十九日の満中陰まで、七日毎にお坊さんに来ていただくことになっているのですが、浄土真宗では、仏前にお供えをして、阿弥陀如来の本願力により救られることを感謝の気持ちで合唱礼拝することでよいということも知り、仕事の事もあったのでちょっと気が楽になりました。
次の三七日の法要からは、肩に力を入れず、父を偲び、家族で思い出話に花を咲かせたいと思います。
二七日を終えました。
久しぶりにブログを更新します。
年末いろいろなことがあり、気が付けば大みそかになっていて驚きです。
昨日、父の二七日(ふたなぬか)を終え、少し生活のペースが戻ってきたので、現在の心境や父への想いなどを記しておきたくなり、更新します。
ちなみに、四十九日まで、七日ごとにお寺さんに来ていただき、供養を行うのですが、葬儀の日に初七日を合わせて行ったので、実質的には昨日の二七日が自宅(実家)で行う初めての法要となりました。
父は89歳で大病もせず、少し足は弱ってきていましたが、それでも毎日外出していました(それこそ亡くなる前日も近所の公園まで出かけゴミ拾いなどもしていたそうです)。
晩年はとても明るい性格で近所のお年寄りたちのリーダー的な存在だったらしく、弔問に来ていただいたお年寄り達も大変驚かれていました。
私が子供の頃は、父はとても仕事に対して厳しい姿勢で打ち込んでおり、いつも厳しい顔をしていたような気がします。
休日も仕事や地域活動のため、ほとんど家にいることはありませんでした。
幼心にとても寂しい思いをした時もあったと思います。
父は私が間違ったことをしたときは非常に厳しく叱りましたが、決して何かを強制することもなく(例えば受験勉強など口うるさくせず)、自主性を重んじていたように思います。
ちなみに私は家で勉強しろと言われることは一度たりともなく、浪人するまで勉強などしたことは一切ありませんでした(浪人して初めて勉強することとなり、同時に勉強って大事なんだなぁと思いました)。
私が子供の頃持っていた父の印象はとても真面目な性格で、誠実、厳格といった言葉がぴったりな人でしたが、退職してからの印象はずいぶん違っていました。
とても朗らかで、人を楽しませることに喜びを感じ、いつも笑顔だったと思います。
きっと厳しい仕事から解放され、本来の性格を取り戻すことができたのでしょう。
特に孫たちに対しては、自分の中学・高校時代の武勇伝(結構やんちゃしていた)を語ったりしていて、私が子供時代に感じていた父の印象とはずいぶんかけ離れていて驚きました。
そして、私や妻に対してもいつも笑顔で、感謝の言葉をかけてくれました。
なので、父からは、誠実さ、厳格さに加え、笑顔と感謝を学んだと思います。
今頃天国では、先に他界した母と一緒に私たちのことを見守ってくれていることと思います。
まだ間に合うか?
以前も少しお話しましたが、認知症について再び考えています。
親のことも心配なのですが、最近の自分の物忘れや、気力低下など我ながら心配になります。
それなりに充実した瞬間もあるのですが、持続しないのです。
そんなことを考えていると、ネットに気になる記事がありました。
現在、世界で5000万人を超える人が認知症を発症しており、2050年には1億5000万人以上に増加すると推計され、これまで日本でも2012年の462万人が2040年には900万人を上回ると見られていました。
認知症が発症するファクターには年齢、高血圧、糖尿病、肥満度、脳卒中歴、喫煙習慣、日常の運動量などがあるようですが、最も重要なファクターは年齢であり、高齢になればリスクは高まるので、高齢化社会進行中の日本の現状を踏まえるとこのような推計になるのでしょう。
一方、最近の研究では、これまでの予測と反対の結果、つまり日本をはじめ先進国では将来減少するとの研究報告もあるようです。
日本では2016年の510万人から2043年には465万人に減少するというのです。
単に人口減少するからかと思ったのですが、そうではないようです。
65歳時点でその先の人生で、認知症の発症期間がどれくらい占めるのかを推計した結果を見ると、2043年の段階で大卒の男性の場合では1.4%、高卒では7.7%、高卒未満になると25.6%になるというのです。
つまり教育を受ける期間が長ければ長いほど、認知症を患う期間が短くなるという結果なのです。
これは朗報なんでしょうか?
教育の質が問われないならば、私の場合、浪人の時期も含めるとストレートの人より有利じゃないですか。
しかし、悲報です。
教育に関しては脳の細胞が発達する時期、幼少期から思春期頃の勉強量がもっとも重要とありました。
その頃、勉強した記憶がありません。
塾はもちろん、勉強系の習い事などせず、鼻たれて遊んでました。
教育機会が将来の健康にまで大きな影響を与えるなんて、ずいぶん不公平な気がします。
私は一応大卒ではありますが、本当に中学・高校時代も含めてあまり勉強をしませんでした。
浪人して勉強しないといけないことを初めて知ったのです。
だって、みんなそうだと思っていたんです。
(中学・高校時代の友人との定期テスト前の会話)
友)昨日勉強した?
私)全然してない。テレビ見てた。
友)俺もしてない(嘘)。
私)よかった。
こんな会話を本気にしていたんですよ。
そればかりか、脳細胞が最も活発に成長するであろう大事な幼少期に、仮面ライダーごっこで額を割る流血事故を起こしたり、ドリフで馬鹿笑いばかりしていたのです。
そのような人間は将来どういった影響を受けるのでしょうか。
別の研究報告では、幼少期の認知能力が低いと、高齢期の認知能力が下がるとの疑いもあるとのこと。
まったくもって不安です。
しかし、そのような人向けにも安心材料となる報告がありました。
大人になってからの働き方や生涯学習、余暇の過ごし方などで、幼少期の悪い影響は相殺されるというのです。
まだ巻き返しが利くかも知れません。
今から頑張ればいいのです(超楽観)。
その頑張るための、気力の維持が心配なんですけどね(冒頭に戻ってるじゃないですか!)
とりあえず、適度な運動により健康を維持して、認知症に対抗してみたいと思います。
とりあえず、単身赴任中に衝動買いしたエアロバイクでもしようかと思います。
(ある日常行為が認知症になる)
(単身赴任の衝動買いの日々)
ゼンマイ仕掛けの虜囚
昨日に続き、月面探査の話です。
月面探査用の着陸船には日本の玩具メーカー大手のタカラトミーが開発したロボットが搭載されています。
そのロボットは何とも驚異のメカニズムなようです。
驚異のメカニズムと言ってもジオンのモビルスーツ(バンダイ)の専売特許ではなく、タカラトミーにもあるのです。
そのロボットは着陸時は直径8cm程度の球体形状から、移動時には球体が割れ姿勢制御のギミックが飛び出す変形機構が特徴のようです。
この変形ギミックに「トランスフォーマー」のおもちゃの技術が用いられているということです。
https://www.yomiuri.co.jp/science/20221212-OYT1T50197/
(3年前、お台場にて)
さらに月面の傾斜にも対応するため、30度の勾配にも対応出来る走行メカニズムは、ゼンマイで動くアヒルのオモチャのギミックが参考になったとか。
ハイテクなのかローテクなのかよく分かりませんが、何れにせよ、日本の技術が月面で活躍する日も迫っています。
このロボットの使命は内臓バッテリーが切れるまで、月面の写真を撮り、地球に送り続けるという健気なもの。
月に置き去りにされるのは、ちょっと可哀想な気もします。
そうしたロボット達に思いを馳せるとき、宇宙戦艦ヤマト2199の「時計仕掛けの虜囚」で、語られた「灯台守」の話を思い出してしまいました。
宇宙は見ている
日本のアイスペースという民間企業が宇宙開発で大きな役割を果たしているようです。
アニメや特撮の世界ではなく、現実世界のこと。
報道によると、民間企業として初めて月面着陸を試みるということで、着陸船を載せたロケットが無事打ち上げられ、順調にプロジェクトが進行しているようです。
計画では着陸船が月面に着陸する際に舞い上がる砂埃を採取し、試料として持ち帰り、それをNASAが買い取るという宇宙資源の国際商取引の先駆けになるというのです。
また、着陸船の積荷の中に、タカラトミーが開発したロボットがあるということで、何とも胸熱の展開です。
もしかして、バンダイも秘密裏にガンダムを忍ばせていたりして。
何て少年時代のように夢(妄想)を巡らしてしまいますね。
妄想ついでに気になることも。
外星人達は常に地球人を監視しています(真顔)。
良い行いも悪い行いも天(宇宙)は見ているのです。
これまで地球人の宇宙資源の試料採取を研究目的ということで容認していた外星人が、無秩序な商取引を行う地球人に危機感をおぼえ、星間条約に基づき、攻撃してきたり、、、
ウルトラマンが現れて助けてくれるかわからないので、やっぱりガンダムの開発が急がれます。
私が現役世代の間に劇的に宇宙ビジネスが進むとは思えませんが、平和裏のうちに進展し、子供や孫世代には環境問題、資源問題の解決につながることを期待しています。
稲盛和夫一日一言
偉大な経営者として知られる稲盛和夫さんの業績について、ここで改めて語らずとも皆さんご承知のことと思います。
と言いつつ、私は特に稲盛氏の著書や業績を詳しく知る機会がこれまで有りませんでした。
恥ずかしながら、今なお稲盛イズム、フィロソフィーの何たるかも理解は出来ておりませんが、氏を紹介する書籍を読み、氏の偉大さを認識するようにはなりました。
私は現在、会社の事業部門の一つを任されているのですが、旧態依然とした品質管理、コスト管理をしている現状を知り、何とかして改善したいと思いました。
現場作業の品質管理については、先ずはデータ分析に基づき、暗黙知の形式知化に取り組むこととして、半年近くかかって現場の協力を得られるようになりました。
もう一つのコスト管理をどのように取り組むべきかいろいろ考えた結果、部門での管理会計に取り組んではどうかと考えました。
とは言え、会計やコスト管理に縁遠く、無駄な事業開発で経理担当からいつもお説教される側にいた人間です。
一からの勉強として、最初に読んだ本が「ケースで学ぶ管理会計ービジネスの成功と失敗の裏には管理会計の優劣がある 金子智明著」でした。
この中で稲盛和夫氏の京セラや日航での業績が紹介されており、感銘受けたという、本当にお恥ずかしいごく最近の出会いなのです。
昨日、来年1月から読むつもりで「稲盛和夫一日一言 運命を高める言葉」を購入しました。
久しぶりに紙の本の購入です。
元旦から365日分の名言が始まるのですが、待ちきれず、本日分(12月12日)を覗いちゃいました。
「高邁な志を抱く」とあります。
誰から見ても立派な高邁な志、高い目標が無ければ、自分の力を出し切ることも、人から協力を得ることもできず、成功など収めつづけることはできないと、あります。
50代の半ばで、定年が見えてきて、焦燥感(笑)からブログを始めた私にとって、眩しすぎる言葉ですが、心に染み入る、心を熱くする言葉ですね。
一日一言、名言をかみしめながら、365日後、私は何か考え方が変わっているのか確認のためにも、このゆるいブログを続けたいと思います。
ゆるいブログ vs 熱くする言葉
シン・ウルトラマンようやく見ました
遅ればせながら、Amazonプライム・ビデオでシン・ウルトラマンを見ました。
(ネタバレほぼ無しです。)
実は映画館で観そびれてしまって、最近になってアマプラで観れることに気がついたものの、仮面ライダーBlack sunを観て満足して(お腹いっぱいになり)、新たに特撮モノを少し避けていました。
私は、初代ウルトラマンやウルトラセブンはリアルタイムでなく、繰り返し放送される再放送で見ていたと思います。
当時の私は、漠然となぜウルトラマンは、地球人を助けてくれるのか、突然現れる怪獣の存在、侵略してくる外星人の目的など深く考えずに、ただ手に汗握り、純粋に楽しむ特撮好きな少年でした。
その後、高校生くらいになって、ウルトラマン=在日アメリカ軍的な論評を読み、なるほどと思ったものでした。
今回のシン・ウルトラマンは総監督の庵野秀明さんにより、地球にくる外星人の目的、ウルトラマンが人々を守る理由、ゾーフィとの関係など新たな解釈が加わり、私として非常に楽しく見ることができました。
初代やウルトラQへのオマージュはもちろん、庵野秀明さんということでシン・ゴジラを感じさせる部分が冒頭にあったり、さらに何人かの俳優さんが両方の映画で同じような立ち位置でキャスティングされていたのは、ファンサービスだと思いますが、とても面白かったです。
ただ、政治家や政府機関の人々は、シン・ゴジラからの連続性をもっと強調していてもアベンジャーズぽくて面白かったかなと、個人的には思っています。
例えば環境省の女性官僚役だった市川実日子さんなんかが出てきても良かったように思いました。
「それってあなたの感想ですよね。」
→いえ、好みです。